新米教員が授業規律を保つための4つのコツ

新米教師の不安…

新米教員の不安の一つに「子ども達が自分の授業を静かに受けてくれるか」というものがあると思います。自分が配置される学校の落ち着き具合にもよると思いますが、とかく新米教員は子どもたちから「新米」という目で見られていますから、なめられやすいのも確かです。
しかし、きちんとポイントを抑えて授業を行えば、生徒たちは必ず新米教師のあなたにも信頼のまなざしを向け、落ち着いて授業に取り組みます。逆に、ベテランでもポイントが抑えられていないと、授業が崩壊してしまいます…。面白いことに、同じ生徒たちがある教科では集中して授業をうけているのに、ある教科では私語のオンパレードで授業が成り立たない、ということは中学校ではよくあることです。これは、裏を返せば、子どもたちを落ち着かせるのに新米もベテランも男も女も関係ない、ということでもあるのです。

新米だって授業規律を整えることはできる!

私は、公立中学校に在籍していたのはほんの数年間でした。知識や経験は、ベテランの先生には敵いません。しかも、女ですから男の先生のように大きな声で怒鳴って子どもたちを緊張させて静めるということもなかなか難しいです。経験が浅く子どもたちに迷惑をかけたことも多々ありました。しかし、そんな私でも「子どもたちが落ち着いて授業を受ける」という点では、誰にも文句を言わせない自負がありました。やんちゃなでなかなか落ち着かない生徒でも、私の授業では一切私語をしなかったのです。

なぜそのように生徒が落ち着いて授業を受ける、つまり授業規律を保つことができたのか。それは、以下のポイントを徹底していたからと思っています。

① 授業開始時は、物音一つしない静寂を待って話し始める

以前何かの動画で、子どもたちが静かになるのを教壇に立って待っている先生のことを「静寂の待ち人」と面白おかしく表現しているのを見たことがありますが…まさにその通り(笑)。その光景を誰もが見たことがある、ということは、それだけ多くの先生が実践してきているということですよね。当たり前のことなのですが、ここで大切なのは「静寂に妥協をしない!」ということです。誰かが話しているのはもちろん、筆箱を動かす音さえも聞こえなくなるまで、ただひたすら待ちます。なぜそこまで徹底して待つかというと、この授業開始時の生徒の状態が、その後の45分間または50分間の状態を決めるからです。がやがやしたままなら、がやがやしたままの授業に。ひそひそと数人が話しているなら、そのままなんだか落ち着かない授業になるのです(この場合、一気に私語が広がってしまうこともあります。)だからこそ、ここは真の静寂が訪れるまでしっかりと待ちます。
この時に、早く気づいて教師に目を向けている生徒には、しっかりとアイコンタクトをとってあげましょう。中学生相手であれば、大げさにリアクションせず、クールに目を合わせるだけで良いのです。そうすることで「私はあなたのことわかっているよ。」という気持ちが伝わり、生徒もちゃんと評価してもらえていると感じ、教師への信頼感につながっていきます。しっかり見ているのに先生にスルーされるより、ちゃんと汲み取ってもらえた方が、嬉しいですもんね。
そして、十分静かになったら、いよいよ口を開きます。その時には、教師も落ち着いたテンションで話し始めます。なぜなら、教師のテンションは生徒にそのまま伝染するからです。
せっかく静かになったのに、先生がニコニコと「はいっ!じゃあね、今日は江戸幕府の三大改革をやりますよーーー!」などと始めてしまったら、生徒は緊張が緩んで一気に隣前後の人としゃべり始めます。授業開始時の一声は、休み時間と授業時間の切り替えスイッチです。先生が落ち着いて話し始めることで、生徒は授業モードに切り替わることができるのです。中には面白い先生で、あまりに面白いので生徒が私語もせず熱心に話しを聞く、というケースももちろんあるでしょう。しかし、その域に達するのは天性の面白さを備えた一握りの人と、豊富な経験を積んで確信をもってやっているベテラン教員だけでしょう。
大事なのは「威嚇」するわけではありません。「静かにしろよ」と眉間にしわを寄せながら待っていては、その自分中心の感情が生徒に伝わってしまいます。あくまで「さあ、授業だよ。切り替えて今日もがんばろう!」と生徒を思いやりながら「真剣」に、真顔で、落ち着いて、待ちます。

② 低めのトーンの声を出し、音量は意図的に調節する

人間は、高く張り上げた声を長時間聞いているとだんだんと苦痛になってきます。実際に、私自身が中学生の時も、授業中うるさい男子に対して女性の先生が高めの大きな声でずーっと注意を繰り返していましたが、効き目ゼロでした(その他複合的な原因があるとは思いますが)。大きな声であっても高く張り上げた声だと、だんだんと騒音のようになってしまいやすいのです。
そんなこと言われても、私は声が高い!という方もいらっしゃることと思いますが、自分の中で低めの声を出すこと、そしてむやみに大きな声を出し続けないことが大切です。
人は、小さい声で話される方が耳を傾けようとするものです。大事なところこそ、あえてボリュームを落として話す、というのは私もベテランの先生に教えてもらったポイントです。かといって、あまりに小さい声では「もっと大きな声で」と基本中の基本のことを指導教員や指導主事から注意されることでしょう。大切なのは、音量を調節することです。基本的には、生徒が聞き取りやすいボリュームで。しかし、引き付けたい時や特に落ち着いて欲しい時は、小さめの声を出す。私は、生徒が問題を解くなど何かの作業を終えさせる時や、学年全体の前で話す時の第一声など、あえてそうしていました。特に、学年全体の前でしっかりと静寂を待ってから「はい。では顔をあげてください。」と小さく低い声で落ち着いて話し始めると、生徒はぐっと耳を傾けてくれ、効果抜群でした。

③ 教師中心の立場で責めない・攻めない

「責めない」「攻めない」。これは生徒の心をつかむ観点からです。先ほども「威嚇」しない、と書きましたが、やはり常に生徒に愛情をもって接することが一番大切なことだと思います。甘やかすわけではないので、時に厳しさを伴うこともあります。もちろん叱らなければいけないこともあります。大切なのは、自分中心ではなく、生徒中心で考えているか、ということです。教師の自分中心の言動を、生徒は見抜きます。そして、心が次第に離れ、その先生の言うことを聞かなくなっていくのです。ふとした一言ですが、とある学校で授業中に「なんでこんなの解けないのー?」「はぁー(ため息)、もうやんなっちゃうなあ…(ボソッ)」と言っていた先生を見かけたことがありました。生徒としっかり信頼関係があり、冗談の通じる仲であえて言うのであればまだ良いのかもしれません。しかし、その先生は臨時でその学校にきたばかり…生徒と信頼関係もないのにそんなことを言われてしまっては、やる気を失うだけでなく、先生への信頼感も築かれません。「そんなこというなら、もう言うこと聞いてやんねー」という気持ちが湧き上がり、だんだんと授業中に反発心から私語が増えたり、反抗したりする場面も出てきてしまうかもしれません。生徒を小ばかにするような発言も同様です。「○○なんだけど、君たち知らないよね。」などと言うと、その場では先生の話に耳を傾けるかもしれませんが、その発言に、馬鹿にされているという不快感を抱き、教師への信頼感を増すことはありません。

④ 静寂を怖からず、堂々と

授業に慣れるまでにありがちなパターンですが、とにかく「自分がしゃべらなければ!」と思って授業をしてしまうことがよくあります。私も、初めはそうだったと思います。教育実習などでは、特にあり得ることです。授業で「説明しなければ」「解説しなければ」という意識がある上に、自分が問いかけてもシーンとしている子どもたちを前にすると「自分の説明が下手なのではないか!」と不安になり、さらにずっとしゃべり続けてしまうのです。
その学校の校風にもよると思いますが、教師の問いかけに対して即座に、自由に返事が返ってくる、ということは多くはないと思います。生徒も考えているのです。問いかけてもシーンとしているのは当然かもしれません。大事なのは、生徒に「焦っている様子を見せない」ことです。教師という役を「演じる」のです。よく「失敗しても平気な顔をしていればわからない」と言われますが、授業中の教師にもこれはあてはまります。例えば、その日配るはずのプリントを職員室に置いてきてしまった。内心「やべー!」と思います。しかし態度には出しません。表情一つ変えません。落ち着いて、違うもので代用したり、授業を先に進めたりします。そして、次の授業で「復習」としてそのプリントを配布します。きっと、生徒は先生がプリントを忘れて焦っていたことに気づかないでしょう。
と言いながら、私自身プリントを忘れて職員室まで取りに急いで帰ったこと(本当はいけないのでしょうが…)もありました。話は一例です。肝心なのは焦ったり慌てたりしている様子をむやみに生徒に見せない、ということです。人間ですから時にはそんなこともあるでしょう。しかし、不安そうで焦っていたり、慌てたり、とういことが頻繁にあると、生徒も不安になり、信頼感の喪失に繋がります。やはり、教師は信頼感の上に成立する職業です。尊敬、と似ているかもしれません。人として、尊敬できるかどうか。非常事態の時に、その人の言うことに従えば大丈夫という安心感が抱けるか。そこが大切です。
少し話がそれてしまいましたが、堂々とした態度を一貫して保っておくためにも、授業中に静寂を気にしすぎず、むしろ心地よく感じる余裕をもちながら、立ち居振る舞いましょう。

以上、新米教員が授業規律を保つためのコツをお伝えしました。以前、生徒が卒業するときにくれた色紙の中に、ある生徒がこんな一言を書いてくれていました。「先生は授業のときはなんだか怖い感じがしました。でも、それは先生の愛情だったのだと今はわかります。」
公立の学校には本当にいろんな生徒がいます。勉強したい子も、本当はずっと遊んでいたい子もいます。しかし、遊んでいたい子が遊んでしまって、勉強したい子が思うように勉強できなくなってしまっては、誰のためにもなりません。遊びたい子が机に向かえるように、勉強したい子がしっかり勉強できるようにするためにも、授業規律はしっかりと保たなければなりません。
上に挙げたのはテクニックに近いものですが、授業規律を保つ上で一番根底にあるものは、教師の「人間力」だと思います。人として魅力的であるか。生徒も人間、好感をもつ相手には反抗しませんし、言うことを聞こうとするものです。協力しようとするものです。
私も、授業中は緊張感をもってやっていましたが、その他の多くの時間、ホームルームや放課後、休み時間などは完全にスイッチを切り替えて、生徒と笑いまくっていました。自分が経験した失敗談などもよく話していました。自分と言う人間を生徒によくわかってもらいたかったからです。一人の人間として、生徒の前でも謙虚でありながら愛情をもって接し、あなたの魅力を伝えた上で、先のポイントを是非実践してみてください。